医療の不確実性と曖昧さ

難病罹患者として、過去に医療契約に関するマネジメント業に携わっていた者として、時間のある限りですが医療系記事にはできるだけ目を通しています。

そんな中でいつも気になっているのが「回された」という表現です。


医療ジャーナリストなんかが書いている記事のほとんどって言ってもいいかな。

医師と患者のやりとりについて書かれている記事の内容を読んでみると、インフォームドコンセントがいつも医師主導のプロセスで成立してるように書かれてます。

その象徴となる表記として「~された」があるんですが、されたってことは、患者の意思に反して医師がそれらプロセスを決定したことになります。

※インフォームドコンセントとは説明に基づく同意の意であり、以下ICと表記


他の診療科に回されたもそうですよね。

回されたは、たらい回しが連想できるように意味としては悪い感じで受け取られやすい。

このような医療記事の問題は、ICに基づき患者の意思決定が適切に行われたかどうかの詳細が表記されないまま、医師の意思によるプロセスとしてICが成立しているかのように表記していることです。


他の診療科に回された案内では随分受け取り方が変わってきますよね。

実際ICトラブルで問題を解決すべく介入させてもらった時のはなしですが、内容を精査していくとICは適切に行われ所謂案内であったケースも多々ありました。

確かに、これだけICが重要視され必要性が求められている中で、患者の意思の尊重からは程遠く、選択肢を著しく制限させ不利益を及ぼす医療者もいます。


このようにICを取り巻く諸問題はまだまだありますが、現場で起こる物事の本質とそれら記事との内容が符号しないケースはよくあります。


それはICへの関心が低い医療消費者の問題でもあり、その関心の低さを変革しようとする私も含めた専門家や機関の努力不足であり、日々の忙しさに追われICを蔑にしている一部医療者の問題でもあるとは思いますが、記事を書く者の主観によって事実が歪められてはいけません。


その時の飯食いネタなのか、あるいは未熟な使命感なのかはわかりませんが、思い込み起源の医療記事は、医療の曖昧さや不確実性をより助長させてしまい、その不利益は医療者・医療消費者どちらにも及ぼすことになりいいことがありません。


ただでさえ、不確実性や曖昧さがはびこる医療領域が存在する以上、その中で起こる事実には通常以上に慎重にバイアスに寄ることなくアプローチして欲しい。




竹田新撰組

仕事と療養を両立させたコリビング・ビレッジの創造 「新撰組の武士よりも武士らしく」に習い、 「健常者よりも健常者らしく人生を楽しむ」を実践する難病起業家集団

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