病気と共に生きる
こんにちは。
34歳で亡くなった友人の3周忌ということで本日は病をテーマに少しだけ。
病気と共に生きると銘打ちましたが、
病気になっちゃったら嫌でも共に生きなければならないですよね。
難治性疾患に至ってはもうここまで頑張ればOKっていう終わりがないので特に厄介で…
とまぁ病気と共に結局は生きていかなければならないわけですが、
この34歳で亡くなった友人ですが、正直そこまで親しい仲ではありません。
以前、携わっていた医療契約に関するマネジメント事業を通しての顔見知りで、
仕事の話はもちろん、病気と向き合いながらどうやって生きていくかについても、
根本的なところから常に意見の衝突を繰り返す犬猿の仲でした。
ただ、嫌いかと問われるとそうでもなく、
むしろあれだけ激しくやりとりしながら縁が切れることもなかったわけで。
で、私と彼女との違いは残された時間がはっきりしているかいないかで、
彼女は常に余命を宣告されている中で生きていました。
正直、34歳まで彼女が生きるとは思っていなくて、
よくここまで頑張ったねってのが本音です。
それにしてもやっぱり34歳は早すぎる。
もっとやりたかったことはあっただろうし、彼女ならやれたはず。
そんなことをこの3周忌をきっかけにうだうだと考えていたんですが、
行きつくところは結局病気ってなんて理不尽なんだろうってことです。
病気になるということは、諦めと我慢を普通以上に覚悟しなければならず、
多くの可能性が奪われていきます。
彼女に至っては志半ばで亡くなってしまったわけですし。
症状の深刻度によって様々ですが、時間の制約にしてもそうです。
私の場合は厳しい時には1日の半分を病気の対処に使ってしまうほどで、
仕事どころか日常生活さえ思うようにこなせないこともありました。
単純に時間が奪われるだけならまだマシで、そこには痛みや苦しみが常につきまとい、
時には死んでしまった方が楽なんじゃないかと心が揺れる時があります。
ただね、ここで自ら死んじゃうのはやっぱり悔しんですよ。負けたみたいで。
彼女もよくそんなことを言ってました。
だから私にしても彼女にしても反骨精神丸出しで挑戦してしまうんですよね。
彼女のやれなかったことを代わりに受け継いでってドラマチックなものではないですが、
少なくとも生きてて、現状それなりに病をコントロールできている私だからこそ、
やりたいこととか、やらなきゃならないことに取り組んでいかねばと考えてたりします。
病気と仕事を共存させ生きていくことを充実させるのは難しいですが、
それができる環境って探せばありますし、作ることもできます。
私自身が患う病があっても普通以上に挑戦できることを証明していき、
同じ境遇の多くの皆様のなにかのきっかけになることができればいいなって思っています。
いつものように今回もまとまりのないあっちこっちいくダラダラブログですが、
まぁ こんなもんです(笑)
それではまた。
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