ニートと難病

こんにちは。

というか、これを書いている時間は深夜3時なんでこんばんわでもいいんですが…

なぜ深夜の3時にブログを書いているかなんですが、たまたまニート株式会社の近況を聞いたことと、某患者会の活動のレポートをこの時間にようやく確認できたってのが理由です。


この組み合わせはたまたま偶然なんですが、患者会のレポートを読んでてこの2つの組織って表裏一体だなって感じました。


ニートって15歳以上 34歳以下でどの学校にも通学しておらず、ふだん収入を伴う仕事をしていない独身の若年無業者と定義されてるらしい。(内閣府)

じゃあ35歳以上はなんていうんだろうか?まぁ…いっか。


正直、わたしはニートを嫌悪してません。

ニート貫き通せるなら別にそれでもいいんじゃないって感じです。

ただ、内閣府の調査レポートによると就労を希望する者もニートにくくられているんで、ニートくくりって幅が広いなぁとは感じてます。


だってニートのなかには病気が理由でそうならざるしかなかった人達だっていますよね。

その中にも働きたいやつと働きたくないやつとがいるわけで。


で、患者会のレポートの話なんですが、内容を見てみると結構綺麗事が書かれていてう~んって感じでした。

綺麗事の代表的なものに「制限しない生き方」をテーマにしたものがあったんですが、正直これは無理です。


心の制限とか気持ちの制限とか思考の制限とかそんなことなのかなって読んでみると、肉体的制限の解放みたいな内容で、気持ちはわかるけどなかなかうんとはならなかった。

残酷なようだけどどんな病気でも症状が深刻になればなるほど、生きるすべての過程で物理的活動は我慢と制限がどこかしらで強いられる。

やっぱりここを受け止めないと1歩前進するのが難しくなるんじゃないかな。


で、この患者会のレポートの就労についての部分に、病気で働けない自分をニートと呼んで欲しくないってのがあったんですが、これはマジで気持ちが理解出来る。

患うと働きたくても働けないことって本当にあるんですよね。


だから自分は病気でも自分のペースで働ける起業スタイルで社会に関わってます。

それでも利益を追求する事業主であるわけだから色々大変なんですけどね。


それで結局何が言いたいのかというと、


患う者こそ

ニートっていう言葉に縛られたり、働けない自分に憤ったりストレスを感じなくていい。

ってことが言いたいんです。


ニート株式会社みたいに逆利用でうまいこと話題性呼んでやっちゃうくらい雑でいい。

まずは自分の物理的な限界や制限を知ること。

そこから何ができるのか、できないのかを決めたらいい。

健常者だってできることとできないことはたくさんある。


最近は少しずつですが働き方の選択肢も増えてきて面白くなってきてます。

難病者の起業もまだまだ相当の工夫が必要ですが無理な話でもなくなってきた。


難病患ってる人って本当に真面目な人が多いんですよ。(根拠のない個人的な感覚ですが…)

だからすぐ自分を卑下したり悲観したりするんです。

その卑下や悲観からうまれるなにかもあったりするから完全否定はしないけど、続けてるとほんと自分を追い込んじゃってよくないことも結構ありますよね。


だからまあ自分を責めたらあとはすっぱり切り替えて、少しは自分を認めてあげる時間を設けてもいいんじゃないかな。


患い制限された生活の中ではうまくいかないことも多々あります。

なかなか社会活動の参加や仕事に従事できないもどかしさや悔しさを抱える中で、ニートと簡単にくくられた定義に追い込まれたりすることもあるかもしれませんが,マイペースに。

一人が厳しければ誰かと協力しながらでいい。

できることを少しずつ形にしていけばいいんじゃんって結論でしめたいと思います。


いつものようにまとまりのないあちこち飛んじゃう内容になってますが、まぁブログなんでお許しを。


それではまた。






竹田新撰組

仕事と療養を両立させたコリビング・ビレッジの創造 「新撰組の武士よりも武士らしく」に習い、 「健常者よりも健常者らしく人生を楽しむ」を実践する難病起業家集団

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